旧ブログからの再録です。
2014年6月29日 (日)
創作としての鉄道模型……むかしのTMS記事より
ふるいTMSのフォルダをひっくりかえしていたら、TMS500号記念に寄せられた記事として1989年3,4月号(No.512,513)に、「創作としての鉄道模型……中型鉄道模型の位置づけと今後の課題」という記事が目に留まりました。どうでもよいことですが、筆者の、城国次郎というのは、C62 2号機をもじったペンネームでしょう。
で、まあ、なんでこれを話題にするかというと、以前に、
をアップしたのですが、そのときにおぼろげながら感じて記述していたことが、そのまま別の表現で書かれているようにおもえて、25年近く前にも、もうそういうことを主張していた人がいたんだなあ、とちょっと呆れた気分になったからでして……
タイプするのが面倒なので、当該部分を引用画像として貼付けておきます。
いや、おっしゃるとおりですよね。そのまんまです。
牽強付会気味に意訳すると、鉄道模型はプロトタイプを精密に再現するという性格はあるにしろ、製品も部品もなかったころは稚拙な工作でもそれは創作につながる楽しみと喜びがあった。けれど精密な製品や良く出来たキットが市販されるようになってからは、フリーランスの模型制作は別として、模型工作はただの組み立て職人の仕事に近くなりいっそうの精密化、自作(スクラッチビルド?)がその創作の価値に取って代わり袋小路に入ってしまっている。というところでしょうか?
そう、だからナローの場合は創作という部分でのアドバンテージがあることで引きつけられる人もおおいし楽しむ人もおおいという事なのかと思いますが、ナローの世界も製品ラッシュの昨今、早晩他のスケールと同じ道を辿りそうに感じます。杞憂に終わればいいのですが。
鉄道模型がいつまでもおもちゃなのかアートなのか宙ぶらりんの存在のままでいる事についての記述も全く同感です。こういう議論って鉄道模型関係の雑誌誌面でもっと取り上げられてもいいんじゃないかと思うのですが、そんな小難しい事は敬遠されるのがオチでしょう。ごく一部の「すばらしき鉄道模型人」の方々の世界はいざしらず、我々のような一般人が楽しむ鉄道模型が、アートとまでは言いませんが他の工芸、手芸なんかと肩をならべるにはまだまだ先が長そうな気がします。
自分の場合は、もっぱら「おもちゃ」ベースでいいかげんな模型工作を楽しんでいる、というかそれしかできないわけですから、こういう系統の葛藤には無縁なんですけど、まあ、なんか微妙な気分である事はたしかです。
追記;
ここまで書いててふと気づいたのですが、ここで言う「鉄道模型趣味」には「模型工作」が必ずその構成要素として含まれると考えていいのですよね?
だとすると、メルクリンとかLGBとかのように自らは「工作」することはなく、ひたすらプロデューサーから提供された製品のコレクションと模型レールウェイシステムの組み合わせ&操作運転を楽しむという形態の「鉄道模型趣味」というのはどういう位置づけになるのでしょうか?
ひょっとして、その精密度やかかる費用はちがってもプラレールとかのおもちゃと同じ位置づけという事になるのかも、なんていうと「そんなおもちゃといっしょにするな!」と袋だたきに遭いそうな気がしますが実際のところはどうなのでしょう?