蕗狩軽便図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

模型工作部屋の5S目指して片付け始めたら、プラモ50年史のリーフレットを発掘しました

さすがに模型工作部屋にも5S(整理整頓清掃清潔躾)が必要かなと気まぐれに思い立ち、一念発起して片付け始めました。

が……ところ狭しと置かれ積み上げられたいくつものいろんな格好の箱や袋やビンやカップや丼や皿の中に、紙プラ金属木材電子部品その他のゴミと端材とゴミとジャンクとゴミとパーツとゴミと資料とゴミとスケッチとゴミと手掛け品とゴミとたまに完成品とゴミと空きパッケージや瓶の蓋や紐やコードの切れ端などの使えるゴミと使えないゴミとただのゴミが、何の法則性もなく混ぜ混ぜぐっちゃぐちゃに放り込まれつめ込まれ机の上にも床にも棚にも散らばり重なり合っているのを今更ながらに自覚させられて、とんでもない絶望感に襲われました。

雑誌も本もパンフレット類も整理しないまま順序ぐちゃぐちゃに本棚に突っ込んであったり床に積み上げてあったり、これも半端無い絶望感。模型はもうこれ以上増やさないとしても、今あるキット、素材、ジャンク、作成中塩漬け品その他でもう満杯。本や雑誌、資料はすでにに本棚から溢れた分が収容能力の2倍くらいになっています。

パソコンの中のファイルも似たようなものですからほんと半端なく半端無い絶望感で、始めなきゃ良かったのかもという何とも言えない気分に陥りながらも、とにかく隣の部屋に運び出して広げて選り分け整理を進めます。

で、長年机の下に押し込まれてそのままだったプラスチックバッグの手提げ部分を掴んで持ちあげたら見事に裂け破れ、その中から静岡ホビーショーで貰ってきたパンフの山が床に散らばって……その中に「ボクらのプラモデル50年史」というリーフレットを発見。裏表紙を見たら2008年のホビーショー(16年も机の下にほったらかしてたんだ。そりゃプラスチックバッグも劣化してパリパリのボロボロになりますわ)だったことが判明。ということは日本最初のプラモデルは1958年だったのですね。

最初のページの冒頭にもそう記されていました。国産第一号のプラモデルはマルサンの原潜ノーチラス号だったと……

そこで思い出しました。子供の頃、テレビ番組で「原子力潜水艦シービュー号」というSFドラマが放映されてみんな夢中になって見ていました。そこへ、そのシービュー号のプラモデルが発売されたという情報がもたらされ、みんな揃って小遣いを握り締め近所の模型屋さんに行ったら、あったのは「原子力潜水艦CB-5」という、似ても似つかないどっちかというと原潜ノーチラス号に近いような近くないような微妙なプラモデルで、それでもみんな、なんかそういうもんかなと納得して買って帰って、夢中になって手でランナーから部品をもぎ取り、キットに付属している菱形の袋入りのセメダインで指先をべとべとにしながら組み立てて自慢しあっていたのでした。平和な時代でした。

しかしその後やっぱり “シービー5” は “シービュー号”ではない、とどうしても残るコレじゃない感の欲求不満に、イマイからサブマリン707のプラモデルが発売された時は、みんな飛びつくように争って買いに走り、組み立てて公園の池に浮かべて遊んだのを覚えています。ほんと平和な時代でした。

ただ、モーターライズ版のサブマリン707ジュニアは、とても高価な上に構造が複雑で子供にはなかなか組み立てが難しく、ヘッド部分にあるスクリューの羽が細くてすぐ折れてしまい悲しい思いをしたのもよく覚えています。

そんなことを思い出しながら目についた本や資料を読み耽ったり、選り分け中のパーツやジャンクをひっくり返して眺め入ったり。しかし、昔の雑誌や同人誌とかを開いてみると、新しく思いついたと思ってたことがほぼ全て網羅されているような気がしてくるし、今よりうんと面白く魅力的に書かれているのに感動を通り越して呆然としたり。そんなこんなで時間ばかりが過ぎて、気がついたら何も進まない中真夜中という……

ここでまた突然、「前途ほど遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す」という句を思い出したりして、このお片付けどうなってしまうのか、早くも五里霧中の様相です。

追記;

AIタイトルアシスト機能を試してみたらこんな結果になりました。

どんなアルゴリズムでタイトルをつけているんだろうとおもいますが、これを見ると、自分が書いた駄文が何を言いたいのか良くわからないせいでこんなになっちゃってるのかなという気がしないでもなくて、AIさんにもちょっと申し訳なく思いますし、こんなの読ませられる人への罪悪感もひとしおで、今夜も明日の朝目が覚めるまでの間しか寝られない気がします。

 

追記その2;

プラモデル潜水艦について潜水艦大研究というページを見つけました。面白いです。CB-5も取り上げられています。