蕗狩軽便 図画工作日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

鉄道模型が芸術(アート?)と認識して貰え難いことの話など

先日、鉄道模型芸術祭に行ってきました。で、ふと、一般的には鉄道模型って芸術と認識されているのかなあと、つれづれなるままに日暮らしタブレットにむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしからむ、かはそんなんぜんぜん知らんけど、せっかく書いたものなのでいちおうここに残しておくことにしました。

なんのことはないちょっと模型工作出来へん状況ゆえのストレス解消手段だったりするのですが、作文とかお絵描きとか、紙と鉛筆かタブレットひとつ有ればいつでもどこでもひとりでも気が向いた時に気が向いたように楽しめるお手軽安価な素晴らしい娯楽なのだなあと改めて(^^;

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鉄道模型が様々な手芸作品やドールハウスなどのミニチュア作品に比べて、一般的に(一般人から)「アート」どころか「工芸品」とさえ認識して貰え難いように見えるのは、プロトタイプ(実物)を正確かつ写実的に縮小再現しただけのミニチュアとしか捉えられていないせいではないだろうか。

鉄道ファン以外の一般人を惹きつける鉄道模型の最大の要素、感動する点は精密なミニチュアであるという事だし、一般人の目に触れる鉄道模型は大量生産され販売されている製品が殆どだ。

展覧会などで見られる自作品やキット組み立て作品も、プロトタイプがある以上その評価視点は職人的超絶工作技能技巧に偏りがちなのは当然のことだろう。これは他の乗り物ミニチュアでも写実的なジオラマ作品でも同じだと思う。

プロトタイプ?が生き物である場合は、その動きの一瞬や表情をどのように捉えて表現しているかという視点が大きいが、機械製品や建築物などの場合には難しい。敢えて言うならウェザリング等がそれに当たるのかもしれないが、何か根本的に違うところがありそうな気がする。

レース編みやキルティング、ガラス工芸、木彫り、陶芸、人形その他ドールハウスなどのミニチュアも含め手芸工芸に分類されるもの達の場合、超絶技巧もさながらその意匠デザインそのものがより高い割合で評価されているように見える。

ただ、手芸や工芸の場合、アンティークなどの今では忘れ去られた高い技術技法を再現することがひとつの目標、評価基準になっている例が多々ある。しかしそれは職人的技能や手法の科学的解明(再現可能)を成した者への評価や、再現された技法による作品がどれほどオリジナルに近いかということについての評価であって、作品そのもののアートとしての評価とは少し異なる。

この辺りの評価の感覚は、鉄道模型作品の評価のセンスと似ているように感じるし、一般人の捉え方、認識もやはりそういう感覚が大きいのではないだろうか。

一方、プラモデル、特にAFVなどのジオラマ作品の場合、限られたスペースに時間と空間を切り取って再構成したシーンによってストーリーを語らせるという立体絵画的な意味合いも大きく、一般人からもアート寄りの模型作品として見られる機会が多いように感じる。

もちろん鉄道模型ジオラマにも風景の一部を切り取って再構成し立体絵画としての鑑賞を意図した作品もたくさん見られる。

しかし車両を走らせることが前提の鉄道模型ジオラマレイアウトの場合は、時間と空間を切り取って立体絵画的表現の作品として作り上げることは難しい。何故なら鉄道模型ジオラマレイアウトのシーナリィは演劇の舞台美術のようなもので、演者(動く車両)やライティング、サウンドとあわせて作品として成り立つものだからだと思う。

舞台美術は必ずしも写実的な背景や舞台装置にとらわれず、劇作品のメッセージを伝えることを目的としてさまざまな表現スタイルが試みられている事も、また別の意味で大いに参考になる。

緑豊かな自然、農村風景や大都会の街並み、リアルな駅構内や鉄道施設を作り込んだ写実的、実感的なジオラマレイアウトとの対極として、シンプルな組み立て線路や剥き出しのフレキシブル線路を引き回しアクセントを適切に配置して演者である車両の魅力を発揮させることを目的としたディスプレイレイアウトも別の視点から「アート」?としての評価を得てほしいと思う。

いつのまにか鉄道模型車両作品の話からレイアウトの話になってしまったが、それも含めて鉄道模型なのだからこれで良しということにする。

しかしまあ、いやほんと、見せる角度とか高さ、距離によってはフレキシブル線路を走らせている電車でも一般人が見入るくらいカッコいい展示なんかもできそうに思うのだが、どうなのだろう?

以上、実物鉄道ファンではなく図画模型工作から鉄道模型を楽しむようになった鉄道模型工作ファンの戯言でした。