蕗狩軽便図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

仁徳天皇陵と堺市博物館に行ってきました

阪和線百舌鳥駅を降りて西に歩くとすぐ右手に小さな古墳が見えました。

収塚古墳。案内に仁徳天皇陵の陪塚とありました。

高校生までそれほど遠くないところに住んでいたのに仁徳天皇陵のことはほとんど知りません。こう言う古墳があることからして新鮮でした。

まずはビジターセンターへ。

ここでこの地域の古墳群のパンフなどをもらって堺市紹介のパノラマシアタービデオを拝見。中に出てきたイラストが可愛らしかったです。

ショップには堺刃物の参考品展示がありました。特殊な製品だと思いますが、ダマスカス鋼みたいな模様が出ていてちょっと驚きます。

仁徳天皇陵拝所では、ボランティアの方がおられてこの古墳にまつわる歴史的な話などいろいろとても面白く説明してくれました。

仁徳天皇はえらく女性関係の華やかな人で浮気?をしては奥様?に怒られていたと言うエピソードがあるなんて話は初めて聞きましたが、今上天皇徳仁陛下は仁徳天皇の文字を入れ替えたお名前なのですね……

お話を聞いているうちに雨が降ってきたので、堺市博物館へ。

仁徳天皇陵は発掘はされていないのですが、過去の方墳部調査時のスケッチをもとにした複製や陪塚からの出土品が多数展示されていました。兜や金めっきが施してある鎧などがあるのと、仁徳天皇陵で確認された鉄剣のレプリカが両刃直剣ではなく反りのある片刃剣なのにも驚きました。

赤色立体地図もあって、かなり崩れて変形しているのも初めて知りました。

副葬品の須恵器が焼かれた泉北地域、信太山の窯跡のことも紹介されていて、子供の頃その一つで土器欠片を拾いに行ったのを覚えています。そのあたりは今は確か泉北ニュータウン自衛隊の演習場の境の辺りになっているはず。

堺と言えば鉄砲ということでその展示にもスペースが取られています。

イケメン鉄砲足軽の顔ハメ記念撮影コーナーもありました。

堺は千利休でも有名ですが、博物館展示案内の方が言うには、彼ら茶人は実際には海外交易にも関わった今でいう商社を経営する存在でもあったらしいとのこと。

繊維関係産業も盛んだったこともあるのか、特別展示として結城紬越後上布、中国少数民族の織物文化のビデオも放映されていて興味深かったです。

企画展では、河口慧海の残した貴重な資料が展示されていました。もちろん堺出身の方です。

経典和訳やヒンドゥー英語辞書編纂原稿などもあって、サンスクリット文字や英文での書き込みがびっしりとあって物凄い迫力でした。(残念ながら撮影禁止)。

支援した人達の情報なども豊富にあって、才能にも健康にも人間性にも特別に恵まれた凄い人だったのだなあと呆れるようなそんな気分になりました。

河口慧海チベット旅行記積読状態になっているので帰ったら早速読んでみようと思います。

行基菩薩の像もありました。(これも撮影禁止)。行基菩薩の生家の家原寺やその業績の一つのダム式ため池、光明池は子供の頃には身近だったのを改めて思い出しました。

外に出ると激しい雨が過ぎて小雨模様。大仙公園の散策は諦めて帰路につきました。