蕗狩軽便図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

「粛清」と「粛正」の話です(辞書語釈探索遊びです)

ニュースを見ていたらこんな記事が目に止まりました。

「粛清されるかも」 容疑者が恐れる「ルフィ」 名前も使い分け?

「粛清される」って「殺される」という意味のえんきょく表現なのかなと思うのですが、そういう意味は辞書の語釈にちゃんとあるんだろうかと思って辞書を引いてみました。

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<広辞苑> しゅく‐せい【粛正】

厳重に取り締まって不正をなくすこと。「綱紀を―する」

<新明解国語辞典> しゅくせい【粛正】

―する  きびしく取り締まって、不正を除き去ること。「綱紀―」

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あれえ?この語釈は意外。意味が違います。

と、ここで「粛正」のすぐ後に「粛清」が並んでいるのに気づいて愕然。元記事は「粛清」という漢字なのに、漢字変換で「粛正」になっていたのですね。

慌てて引き直したら、

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<広辞苑> しゅく‐せい【粛清】

不正者・反対者などを厳しく取り締まること。独裁政党などで、方針に反する者を排除すること。「対立分子を―する」

<新明解国語辞典> しゅくせい【粛清】

―する   組織内の反主流派を 徹底的に無くすこと。

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うん、なるほど……

しかし「排除する」「徹底的に無くす」ということの具体的な意味が書かれていないのが不満。

新明解国語辞典なら「合体」の語釈と同じように、”「◯◯」の、えんきょく表現としても用いられる“という付加的解説もあるかもと思ったのに残念です。

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<新明解国語辞典> がったい【合体】―する

(一)起原・由来の違うものが新しい理念の下(モト)に一体となって何かを運営すること。「公武―」

(二)〔有性生殖で〕雄性・雌性の生殖細胞が融合して一個の細胞になること。〔「性交」の、えんきょく表現としても用いられる〕

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ネット検索したら、「粛正」と「粛清」 – 毎日ことばplus というページに、

厳しく取り締まることは同じですが、「粛正」は「綱紀粛正」など規律を正す意味で使われます。一方の「粛清」は、特に独裁者が反対派を追放や処刑により排除することです。歴史的な粛清には、スターリンの「大粛清」や毛沢東の「文化大革命」などがあります。”

という解説がありました。

「正」と「清」の使い分けがよくわかりました。なんか凄いなという感想です。

「粛清」は、特に独裁者が反対派を追放や処刑により排除することです。” って……

念のため「処刑」も引いてみました。

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<広辞苑> しょ‐けい【処刑】 刑に処すること。特に、死刑に処すること。「戦犯として―される」

<新明解国語辞典> しょけい【処刑】[0] ―する 刑、特に死刑を行うこと。 「―台」

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うん、やっと冒頭にあげた記事タイトルの意味が通じました。

「処刑」=「死刑に処する」=「殺す」です。

だから、記事のタイトルは、

”「殺されるかも」 容疑者が恐れる「ルフィ」 名前も使い分け?“

の方がわかりやすいはずなのに、なぜこういう場合にこんな妙なえんきょく表現をするのだろうと不思議に思います。

 

 

♪ちいぱっぱ♪と♪ドンヒャララ♪、は同じメロディーなのでした

郷土資料館に行ったら同じ建物内にある市民カルチャークラブの部屋から大正琴?が聞こえてきました。

初めての方の練習のようで、ちいちいぱっぱチイパッパという曲だと思っていたら、続く小節のメロディーがぜんぜん違ってうろたえました。

しばらく聞いて、「村祭り」だと判明。む〜らのち〜んじゅのか〜みさ〜ま〜の〜、って童謡です。その、♪どんどんひゃららドンヒャララ♪、のメロディーが♪ちいちいぱっぱチイパッパ♪とそっくりなのでした。

自分の聞き違い混同に苦笑してしまいました。

そういえば、♪笹の葉さ〜らさら〜♪、と、♪夏もちーかづーく♪、も出だしのメロディーが一緒ですね。

そういうの、多いかもしれません。

♪とーしのはーじめの、たーめーしーとてー、おーわりなーきよーの、めーでーたーさをー、まつたけたーてて、みなかえろー、からすもいーっしょに、かーえーりーましょー♪

と、何故か途中で違う歌になってしまうというのもあって、童謡は結構面白い、もとい、難しいのでした。

大寒波で裏庭の池に厚い氷が張り、強風で裏庭のサンシェードが吹っ飛んでしまったので修理しました

本当に毎日、いろんなことが起こるものです。

24日から25日の朝にかけては10年に一度の大寒波でしたが、東京は雪も積もらずそれほどの混乱はなかったようです。でも夜はものすごい強風が吹き荒れました。

朝起きたら昨夜の強風で裏庭の目隠し?に張ったサンシェードが壊れて吹っ飛び、池に厚い氷が張っていました。

サンシェードは、二階の窓枠からロープで吊り下げた園芸用ポールに上辺を結びつけて張り渡しています。薄いパイプ状のポールなのでロープで吊り下げた位置で折れてしまい、シェードが強風に煽られて想定外の力がかかったせいでしょう、窓枠下に設置していた滑車が引きちぎられて落ちていました。

まずは折れたところからポールを切断。パイプのつぶれをラジオペンチで広げ、端材箱からてきとーに拾ってきた棒材をジョイントとして突っ込みポールをつなぎます。

滑車の位置の関係でポールの中間をロープで吊り下げていたので、ここに曲げ応力が集中して折れたのでしょう。なのでサンシェードを固定しているポールの先端と中央の3カ所でポールを吊り下げることにしました。

これでポールには曲げ応力は発生しないはず。最初からそうしてれば良かったのにアホです。

やっとなんとか復旧できました。継いだところの変形をなおしきれなくてかなり曲がっているのはご愛嬌です。

良かった良かったとお茶を飲んでカレンダーを見たら、持病の定期通院予約日でした。昨日の晩まで覚えていたのに、すっかり忘れていました。既に間に合わない時間になっていたので慌てて病院に電話してキャンセルと再予約申し込みをしましたが申し訳なくて……

本格的にボケ?が始まったのでしょうか?

 

追記;

今回使った修理道具と材料一覧です。

道具:金のこ、ラジオペンチ、ニッパー、はさみ、木工ヤスリ、ハンマー、タコ糸(滑車引き上げ用)、クリップ、ライター(索端処理)

素材:ヒノキ角材端材、針金、布ガムテープ、針金、ナイロンロープ(追加分)

並べてみて、よくもまあこれだけの材料と道具が家の中のいつでもすぐに取り出せるところに保管されているものだと我ながら感心します。ふと思いついてなにかつくろうとしたり、壊れたものをすぐに修理(応急処置?)したりするのに、まずほぼ不自由しません。

つまり、頻繁には使うことのない様々な道具類やほとんど使う当てもない膨大な素材、部品、端材、空き缶空き箱、キャップ、ペン軸、その他ジャンクパーツなどが、一部屋を占領するくらいに溜め込まれ、増え続けているということでもあるわけです。

こういうスタイルの暮らしと、ミニマリストのように一切余計なものを持たず必要に応じて手に入れ用がなくなったら処分する、少しでも故障したり壊れたら迷わず捨てて新しいものを入手する、お金で解決できることは全て速やかに専門の業者などに依頼する、というシンプルでオシャレな暮らしとどちらが良いのか、蕗狩軽便図画工作部シュレマル工房にはよくわかりません。

しかしどう考えてもミニマリストの生活は、ものをつくるのが好きな人には不便すぎる不自由すぎるように思ってしまいます。でもそれはひょっとしたら、本当の便利さと自由?を買うだけの経済力がないから、ということなのかもしれません。

 

追記2;

直接的な関連性があるかどうかは知りませんが、ふと、レヴィ=ストロース『野生の思考』という本に出てくる「ブリコラージュBricolage)」(寄せ集めて自分で作ったりものを自分で修繕すること、器用仕事)、とこんなものでもいつか役に立つかも知れない(ça peut toujours servir)」という考え方や生活、行動のスタイルを思い出しました。熱帯アフリカの人たちの暮らしを観察して導き出された概念だそうです。

高度に発達した消費都市文明生活の象徴、都市生活の極致的な生活スタイルであるミニマリストライフに対して、とにかく「あるもので間に合わせる」、「その為にいつか役に立つかも知れないものを溜め込む」が基本姿勢の蕗狩軽便図画工作部シュレマル工房は、誇り高き「野生の思考」の実践者なのか、はたまたただの乞食の引越し症候群に犯された貧乏性の「のめしこき」の「もうぞこき」なのかなかなか悩ましいところです。