蕗狩軽便 図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

「実物を知らない人が作った模型は、なにかどこかがおかしくなる」というお話ですが……

「実物を知らない人が作った模型は、なにかどこかがおかしくなる」

という話がある。

が、これ、

「構造を理解していない人が作った模型は、なにかどこかがおかしくなる」

が正確なように思う。

実物を知って(見て)いても、その構造や働きに特段の関心がなく形態を描写することだけが目的になっている場合、往々にして観察する角度や錯覚によって頭の中に再構築された形態が物理的、力学的、機構的におかしな構造になってしまうことも多いだろうし、それに気づくことも疑問を抱くこともないのが普通だろう。

そうやって把握されたイメージに基づいて作られた模型が、「なにかどこかがおかしい」という風になってしまうのだと思う。

自分自身を振り返ってもそういうことは何度も経験している。

逆に実物を知らなくてもある機能を持つもの、特定の目的を果たすものを模型化しようとする場合、その構造や働きを良く理解していれば実物そのままの形態ではなくとも物理的、力学的、機構的にも形態的にもおかしくないものが出来あがる可能性の方が高くなる。

さらには想像力を働かせて一からデザインすることによって既存の実物よりも合理的かつ斬新な形態の模型を作り出すことだって出来ると思う。

模型には模型としてその縮尺で要求される強度や機能を果たすために必要な構造や形態がある。それは実物どおりの構造や形態を縮小するだけでは実現することが出来ない構造や形態であったりもする。

だから「実物を知らない人が作った模型は、なにかどこかがおかしくなる」という言葉は正確ではない。

また実物を知っていることが、必ずしも模型作品として機能的にも形態的にも美しく満足の出来る作品を生み出すのに必要十分条件でも無いということなのだろう。

模型は実物の縮小コピーではない。実物そのものの代替品でもない。模型はそれそのものとして完結した一つの表現形態なのだと思う。

……って、読み返してみると自分のことは棚に上げてよくまあ……と我ながら思いますが、やる気のなさの悪あがきで頭の中でいろいろ遊んだ考えの残渣としてここに残しておくことにします。