蕗狩軽便図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

より良い製品が出たらそれを購入し、手元にある旧製品やつくったキット、自作品などを処分する感覚って?

鉄道模型趣味の人で、同じ車種?プロトタイプ?でより精密な完成品製品が新しく出たら持っている古い製品を売って買い替えたり、キットを組んだりスクラッチして自作したもの(作品)を手放したり処分して新しい完成品製品を買うというのはどういう感覚なのだろう?」

という意味のツイートをしたら、

「強いて例えるなら、自分で組んだPCよりも性能の良い既製品のPCに買い換えるような感覚に近いかもしれません。」

「作品という意識は薄いかもしれません。あとは、出来の良い完成品の方が優先度が高い場合、(完成品を購入する)金策を練るために手放すケースは少なく無いと思います。」

というリプライのほか、

「自分でキット組んだモノは、手放すつもりはないけど、メーカー完成品で購入したモノは、買い換えたり手放すことはあるかな。あくまで自分の場合ね。そこは人それぞれで。自分で組んだモノでもどんどん手放す人もいるし。中には作る事自体が好きだから、出来上がったモノは誰かに譲るって人もいますよ。」

「自分は確かに新製品は買う時もありますが、旧製品だって手を加えれば負けないと思います。 ただ、集電方法が変わったり、旧製品対応の車輪がずっと生産中止とかかなり苦労する部分もあります。」

「私の場合は、自分で組んだのより精密で正確でよく走る(割と重要)のが出たら飛びつくけど、その結果退役になったキット組品・改造品も処分できず、部屋に積み重なっていく、、、みたいな感じです。純粋により良いものを求める一方で手を動かした品も捨て切れず、みたいな。」

「自分の場合は、基本的にキット等自ら製作した物は、高性能高密度の製品が発売されても、買い替える事はありませんね。」

というようなツイートがあって、その人の模型工作に対するスタンスによって違ってくるようだということがわかります。

これ、対象が実物プロトタイプのある鉄道車両だということが結構大きく影響しているように思えます。車や飛行機、船でも全く同じだと思いますが、スケールモデルの場合、どれだけ実物を正確精密にかつ印象を捉えて縮小モデル化しているか、そしてそれを所有、コレクションしているか、がおそらくはいちばんの目的になります。

そうなると、工業製品であれ専門職人の工作品であれ自分自身の工作品であれその評価基準と価値は変わらないので、その出来だけで価値が判断されますから、単なる市場原理による売買の対象物として扱われるのだと思います。

対象物そのものに自分自身の体験やそれに伴う感情が付随する場合は別で、手に入れた思い出や由縁があるとか、つくった経緯やその時に得られた経験や技術を思い出させる物になっているとかで、それを自分の作品として認識する場合は扱いが変わってくるかもしれません。

つくる対象が現存する実物をモデル化するだけではなく、それを自分の感性でアレンジしたり、存在設定や機能、デザインを含め自分自身の創作物として制作する場合は、随分と捉え方が違ってくるでしょう。

そういうことをしている人たちは、自分の作品を手放すにあたっては、また別の判断基準や考え方があるのだろうと思います。

しかし、鉄道模型ではそういうものを売買する場はほとんどないようなのがちょっと寂しいところかもしれません。

「(鉄道模型製品は)新製品は高値で、旧製品やウェザリングとかうまく加工してもジャンク扱い… というシステムでしか 買い取らない業者もおかしな話し。模型の価値って? これが本当の無限列車…」

というツイートもありました。

ジオラマ作品やプラモデル、フィギュア、ドールの世界では、手芸やアートに準じた作品としての価値観と評価や市場があるように見えるのが面白いと思います。