「みんなちがってみんないい」
「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」
テレビCMなどにも使われている、とても有名な、金子みすゞの詩の一節です。
若い頃から今までずっとなぜだかわからなかったのですが、この詩、そして金子みすゞ がすごく苦手でした。
しかし先日、たまたま自分の趣味娯楽のひとつである鉄道模型のことでツイートして突然、苦手だった理由がわかったように思いました。
「実物そっくり」と「本物っぽく見える」と「いかにもありそうに見える」とは全然違う。
— 蕗狩軽便鉄道 (@sktrokaru) 2020年12月28日
みんなちがってみんないいけどどれがすきかはひとによる。
この、「どれが好きかは人による」という無意識に付け加えた蛇足の一文が、自分にとってはとても大事なことだったようです。
霧が晴れるように理由が明快になり、もうこれ以上、金子みすゞとその詩を苦手に思うことは無くなったような気がします。
こういうことですね。
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みんなちがってみんないい
けれどもね
どれが好きかは人による
どれを選ぶか我次第
何が好きかは我次第
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見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ
けれどもね
何を見るかは我次第
何を見たかも我次第
見るも見ないも我次第
見えないものへの崇敬も
思慕も畏れも我次第
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つまり、苦手だったのは、
「みんなちがってみんないい」
「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」
という言葉の背後に、
「それが正しくて崇高な真理、真実なのよ。そういう考え方をしそれに相応しい判断と行動をするのが正しくて良い心を持った立派な人なのよ」
という説教くさい無言の圧力みたいなものを感じていたからなのでしょう。
それがわかった今、金子みすゞがいくらそう言おうと、ひとがいくらその観念と真理?真実?を振りかざしてこようと、あまり苦手に感じることはなくなりました。
我は我、自分の考え方はいろんな考え方を知った上で最終的に自分が決める。そういうものだと納得、得心したからかもしれません。
金子みすゞの詩は、本当に巧みに人のこころ、倫理観、道徳感、価値観、人生観に影響を与えることのできる素晴らしい作品なのだと思います。
そして、金子みすゞの詩を殊更好み、紹介してくる人たちにとっては特に、自分の考えや信念に従って都合よく他人を動かし事を運ぶために、金子みすゞの詩の一節ほど影響力と効果のあるものは、そうそうないだろうとも思います。
要はその詩がどういうシチュエーションでどのように引用されるか、利用されるのかが問題なのかもしれません。
きっと、自分はそういうところが苦手だったのでしょうし、これからも苦手だろうと思います。
今日は大晦日。
今年はコロナで帰省もままならず、実家が心配ですが、無事元気でいて欲しいです。
それでは良いお年を。