蕗狩軽便 図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

子供の頃の模型店のことなど

コロナが来てからもう半年以上模型店に行っていません。

少し前、Twitter鉄道模型店のことが話題になっていたので、思いつくままにメモしてみました。

初めて行った鉄道模型専門店は高石市羽衣駅前にあった丸武模型店でした。電車で15分ほど、自転車で1時間足らずの距離でした。昔はTMSにも広告が出ていた模型店です。

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元々は浜寺公園内にあった進駐軍将兵用住宅の米兵向けに開いたお店だったらしく、アメリカ型ブラスモデルはじめ鉄道模型のほかラジコン模型も扱っていて、壁に大きな飛行機が吊り下げられていたり、店内でグローエンジンの試験運転をしたり(その時は臭くて大変でした)、艦船模型の細かいロストパーツなどもショーケースに沢山並んでいました。通りに面したショーウィンドウに飾られていたリマ製Nゲージの電気機関車セットは車輪のあたりのスポンジが油で変色していて、行くたびに飽きずに眺めたものでした。

‬髪が灰色で色の白い太ってメガネをかけたサスペンダー姿の店主は気難しかったですが、お小遣いの少ない小中学生にも煩がらずに品物を見せてくれたり、辛抱強く説明してくれた様に記憶しています。ダックスのキットの中身を箱を開けて見せてもらったのも良く覚えています。

ここでお年玉とため込んだお小遣いで最初に買った9ミリゲージは、関水金属のEF電気機関車でした。弄り倒しバラバラにしてしまってもう残っていませんが、下廻りフレームをペンチでぶった切った時にプラに銅板が張られていて導電性を持たせる構造になっているのを発見。複雑な形にぴったりと張られているのでおそらくメッキだろうと想像しプラスチックに金属メッキなんてどうやってやるんだろうと凄く興味を持った事を思い出しました。ジャンク箱に残っていた動力台車の一部はナロー電車に再利用して、今も現役?です。

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http://www.ne.jp/asahi/1/skt/othermodels/17%2702nenga/2002nenga.html

トミーバックマンのアメリカ型ディーゼルと貨車は、ディテールがあちこち折れたり取れたりかなりボロボロになっていますが今も手元にあります。久し振りに出してみたら遊び倒して凄い手垢ウェザリングに感動してしまいました。それでもよく見ると凄く精密なディテールモールドに驚かされます。

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なぜかフィギュアセットや白い柵などのストラクチャーパーツをいくつも買ったのを覚えています。当時から車両よりも情景パーツのほうに興味があったのかもしれません。

店主が引退し、息子さんが継いでから店が大きくなり、プラモ中心になって来ていましたが、南海線羽衣駅と商店街の改修後に無くなってしまいました。

‬大学時代、京都の模型店にも、余り買わない(買えない)のにお世話になりました。成人して関東に来て、同じ様な感覚で専門店に行ったら、なんだか随分と雰囲気が違ってちょっとびっくりしたものでした。

その後あちこち転勤し、何処の街でも、結局何も買わないことになってしまっても気遅れしないお店を選んで行っていた様に記憶しています。常連さんが店員と話し込んでたりすると注意を引かないでいられるので助かりました。

‪知識情報は殆ど鉄道模型雑誌はじめ色んな分野の模型雑誌や図画工作ハウツー本、美術工芸関係の本から得ていました。だから当時も今も、特別な知識情報、手法技法など無いに等しいですし、実物に照らした模型の話になるとまるで分からなくなってしまいます。もともと実物鉄道にそれ程関心がなかったのも影響しているのかもしれません。

再度東京に転勤になった頃、量販店で鉄道模型を扱う様になっていて凄く敷居が下がった気がしました。ネット通販が発達してからは、ほんと気楽になった気がします。

今は鉄道模型だけでなく、色んな分野で専門量販店?みたいなお店が増えたのでとても嬉しいです。