IORI @IORI_koubou氏の下記のようなツイートがきっかけになって、ツイッター上で日本の明治の山(戦前の山)、森林について少しつぶやいてみたことを、忘れないように記録しておこうと思います。
自分のツイートについては、誤字脱字訂正ほか読みやすいように一部文章を修正するとともに、補足情報を書き加えています。
明治から戦前までの鉄道ジオラマレイアウトをつくりたいかた、楽しみたい方の参考になれば嬉しいです。
2020.5.3 追記
江戸後期、明治以降は、写真で日本の森林植生が貧弱だったことが分かりますが、もっと昔はどうだったの?と、いうと、江戸時代の浮世絵版画「東海道五十三次」の絵などでその様子がよくわかるほか、室町時代の絵巻物の描写を元にした研究がありました。
「 絵図類の考察を中心にみた江戸末期から室町後期における京都近郊の植生景観」
この時代も人口の多い地域の山林は既に植生が貧弱だったようですね。
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以下twitterからの引用です。
IORI @IORI_koubou
「明治らしさ」は実際悩むんだけど、こういう山岳レイアウトだと「木が無い」「道が車の通れない幅」「民家にガラスが普及してない」「鉄道施設が真新しい」とかになるのかなぁ…
【身辺雑記】明治後期の山岳路線をテーマにしたNゲージ定尺プランです。水力発電所や牧場はともかく、明治らしさって意外に難しく、古レールの構造物が無いとか、鉄道用地内がきっちり除草されているとか、そんな感じ? #レイアウトプラン #Nゲージ #池田邦彦 pic.twitter.com/vNTai43p8i
— 池田邦彦【漫画家】 (@yayotcha) 2020年4月28日
狩軽便鉄道 @sktrokaru
「山に木がない」という要素、めちゃ大事です。鉄道が走っている人家に近い里山地域では特に。これ、普通の人は気づかないことだと思う。昭和初期(戦前)の写真とか参考にしました?
IORI @IORI_koubou
全くないではないですが、里山とは言えない碓氷峠もこれですからねぇ…。
鉄道沿線、明治時代は木が無いし、昭和に入っても雑草が無いしで「緑豊かな景色の中、草いきれをかき分けて列車がやってくる」という情景は実際のところ平成の鉄道風景な気が…
木を資源として利用しないエリアは明治でも木が生えてる…けどひょろひょろなんだよねぇ(四ツ谷)
「ここ1000年くらいで今の日本列島が一番緑豊か」は実際そうだろうと思う
狩軽便鉄道 @sktrokaru
基本、昭和初期までは、燃料はほぼ全て薪炭でしたから、都市部でも庭園や堤防上の土留の為の植林など以外は徹底的に収奪されてました。碓氷峠辺りは鉄道が開通して一気に伐採されたのだと思います。まだ一般的には跡地に植林するという意識がなかった時代です
(注:上記、碓氷峠の写真の画面中央の尾根筋あたりは、傘伐と言って、伐採地にところどころ数本まとめて木を残し、その木の種から発芽成長させる天然下種更新を期待する伐採の仕方をしています。国有林、御料林では、それこそ江戸時代から治山治水として積極的計画的な山の管理が行われていますし、明治に入ってからは主にドイツから林学の知識が導入されて森林計画制度が整備されます。琉球王国でも独自の森林管理経営が行われていて、調べると興味が尽きません。)
IORI @IORI_koubou
マインクラフトで「石炭は村人の交易に使うから…」と燃料に使わないでおくと燃料や建材用途で拠点近くの木が全部伐採されるのと同じ構造
そうそう、せいぜい山頂付近にヘロヘロの松が生えてるのが明治の山のイメージ
狩軽便鉄道 @sktrokaru
お山の一本杉のイメージ^_^
木曽の筏流しとかの写真などを見ても山はほとんど丸裸だったり。お留山(今でいう保安林)と御料林(天皇家直轄の森林)以外は、運ぶ手段があるところはほとんどそんな感じ。人工植林で初めて日本の低山帯?は森林になった
あと、ついでにですが、その当時は山崩れや洪水は日常茶飯事だったのです。で、伐採した場合もほっとくと天然下種で木が生えるまでに雨の侵食で崩れたりするので、技術的に唯一可能な杉桧の人工植林で造林をしたという経緯もありまして……
その造林が割とうまくいって土砂災害防止&水源涵養が大成功したもので、調子に乗って本来伐っちゃマズい亜高山帯まで手を伸ばし、高度経済成長期の木材需要を賄ったことと、1959年の日本建築学会による木造建築否定以降、次第に求められる材の規格が変わっちゃった(*下記補足参照)ことで、いろんな問題が噴出というのが昭和の終わり頃から顕在化
鉄道模型クラスタという狭い範囲かもしれませんが、日本の森林、山林についての正確な知識が広まって嬉しい気持ち
調子に乗って言っちゃうけれど、日本に「手付かずの原生林」なんてのはないですので、そこんとこヨロシク。あえていうなら裸地に植林してつくった明治神宮の森も、ある意味「手付かずの原生林」なのですよね
実は、現在の海岸の松も、殆どが人工的に植えられたものです。好き好んで潮風の強い場所には侵入しにくいものですから。パイオニア種として海岸性の灌木やたまにハンノキとかカンバ類が入ってきますが、大抵は砂土の土壌が動くので根付いて育つことは難しく、草付きか岩砂むき出しのままということも多くなります。
ちょっと内陸になると話は別で、その群落が長い時間をかけて海岸部に達するということじゃないかな?
ゆうえん・こうじ @JGR1067
確かに明治~昭和初期の山には木がない写真が多いと思いますが、博物館の歴史ジオラマつくるならともかく、木がない山ばかりのレイアウトは模型として美しくないような気がします。
狩軽便鉄道 @sktrokaru
そこは、「創作」としてならお好み次第というところかと思います。わたしには、広重や北斎の作品に見られるような風景(遠景)の中を走る汽車というのもつくってみたいモチーフになっています。
IORI @IORI_koubou
ところで「もうさすがに薪を燃料にしたり牛馬の餌として草を取る時代じゃないでしょう…」という昭和末期の国鉄線においても線路沿いの雑草が(JRに比べ)よく刈られてたのはなんでなんだぜ?
松本製作所 @buwoochan
民地については昔の人の方が丁寧に草刈りしてたと思います。隣がやってるのに...みたいな無言の圧力もありますし(汗
IORI @IORI_koubou
あーそれはありそうですね…
監視する住民がいなくなった土地から草ボーボーに
狩軽便鉄道 @sktrokaru
監視というよりは、飼葉用、堆肥用、焚きつけ用、その他もろもろの需要や防火対策としての草刈りなどの必要性(こっちは環境変化と監視の緩みもあるか)がなくなったのも大きいかも
(引用終わり)
*補足
材の規格が変わったというのは、かつては、柱や梁、造作材に直接木の肌が見える木造日本建築に要求される通直緩慢(まっすぐで丸太の両端の直径差が少ない)な節の少ない目の詰まった(揃った)木材が求められ、高価で取引されていたのが、木造は木材が直接見えない構造の建て方になり、以前のような規格は求められなくなったということ。
その結果、どんな材でも同じような値段で取引されるようになったことに加え、外材の急激な増加によって、もともと急峻な地形で作業条件が厳しく、小規模山林所有者が多くてロットがまとまらず、商習慣的にもいろいろと問題のある国産材供給体制が災いして、国内木材産業が低迷、せっかく造林した森林もほったらかしで荒れるに任せるという状態があちこちでみられるようになりました。
間伐されずにもやし山となって台風で共倒れになる山や、しっかり手入れされて成林しても、今度は大きく太くなりすぎて、伐採する機械や技術がなかったり、伐採しても現状の設備では大きすぎる丸太を製材することができないので、結果的に伐採されずにほったらかし、ということも起きています。
もちろん、林業、森林管理に対しては様々な補助制度が整備され支援が行われてはいますが、日本の森林の立地環境や所有形態、産業構造その他様々な問題もあって、なかなか状況は改善していきません。
そうなると結果的に、国産材の生産も進みませんし、土砂災害防止や水源涵養などの公益的機能にも支障が出てきます。
ということで、現在では、そういう人工林に侵入してきた広葉樹の除伐を控えたり、一部伐採などある程度手を加えて天然更新を図ったりして、森林計画における施業区分上、天然林に編入することも進められています。
ざくっと抽象的な説明でしたが、ご興味を持たれた方は、「森林・林業白書」などをご覧になられると詳しい情報が得られると思います。