蕗狩軽便図画模型工作部日記

ー シュレマル工房 覚え書き ー

裏庭改修とネコ柵の張り直し

家の北側、幅2メートルの狭い裏庭ですがここ10年ほどほったらかしで荒れ放題だったので、年末年始に大改修しました。

埋まってしまっていた池を掘り直し、防水シートを張り替えて復活。

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レンガ敷の不陸は諦め、ひっぺがした模型鉄道線路築堤の煉瓦を再利用して、お昼に少しだけ日の当たる場所に花壇をつくり端っこにゆずを植えました。

一度洗ったのですが、煉瓦や池の周りに石にはまだ薄く土がこびりついています。もう一度しっかりブラシをかけて洗い直さないとダメそうです。

花壇には家人が背丈の低い日陰でも育つ植物を植えました。うまく育ってくれると良いのですが。

猫くん達が庭から外に出てしまわないように張ってあった網柵も、もう少し高くして張り直し。これで自由に庭に出て遊ぶことができます。

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海坊主風ショーティー

追記 2021.9.25:

今年最初の図画模型工作でパールライトブルーに塗ったけれどやっぱりあんまりジミすぎて面白くないのでスカイブルーに塗り直してみました。

なんか平凡になった気はしますが、海坊主と言うニックネーム本来の姿には近くなった気がします。

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以下は以前の記事。

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今年最初の鉄道模型工作として、たしか半年くらい前にグリーンマックスの板キットとBトレインのあまりパーツを使っててきとーにカッコつけた海坊主電車風ショーティーを塗装することにしました。

とはいえエアブラシ出すの面倒だし工作室は寒いし、ということで引き出しの中にあったパールライトブルーの缶スプレーを塗ったくって誤魔化すことに決定。

ぶわーっとスプレーした後、張り上げ屋根風にしたらと思いつき、てきとーにマスキング。サーフェイサーの缶スプレーをぶわーっと吹いて塗装完了。

下廻りと合体して前から見たら、なんかカプラー周りがみっともないので、これまたてきとーにそれらしいパーツを作図して3Dプリンターででっち上げてくっつけ、フラットブラックを筆でベベべべっと塗り付けます。

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レタリングはどうせ老眼でろくに見えないので、Bトレインのシールの残りクズからてきとーに選んで貼り付けました。

パンタグラフを取り付けて、今年最初の模型工作「パールライトブルー海坊主」はめでたくロールアウトとなりました。

下廻りは昔のグリーンマックス動力台車に無理矢理ジャンクモーターを組み合わせたものですがとてもよく走ってくれます。

ヘッドライトやテールライトに色を指したほうが良いかなあ。 

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鉄道模型作品の評価基準

細密、精密、正確、写実、極小というのは一般的にどんなものに対しても誰もが認め異論を挟むことが出来ないとても分かり易い絶対評価基準なので、模型作品などはそういう視点から鑑賞されることが多いし、すごいなあと感心してもらえることが多いように思います。

手芸や工芸作品は、これに加えてモチーフや表現手法なども大きいので、アート?に準ずるような鑑賞のされ方をされるのが普通のように思うのですが、模型作品、特に鉄道模型ジオラマレイアウト含む)の立ち位置ってなんだか複雑で微妙です。

自分の好きなものを好きなようにつくる場合にはあまり関係ないし気にもしないことではあるのですが、人間というのはそうはいかないことも多いのでいろいろ大変だということでしょうか?

なんでもそうですが、自分自身も含めて、誰を対象とするか、何を目的とするか(誰が鑑賞するか、何が基準となるか)で、作品の評価?は天と地ほどに違ってくるものだと思います。

これは当然のことだし仕方の無いことなので、あれこれ言ってもなかなかどうにかなるものでも無いような気がします。

自分自身だけを対象とした趣味として楽しむなら何も問題など無いのですけれど、自分以外の目を意識した途端にいろいろ大変になってくるということなのかもしれません。

そういえば、むかし現場で「整理整頓清掃躾」で「4S」って標語?を見たことがありましたが、「細密精密正確写実極小」も「4S+G」とか略せそうです。

結局のところ「4S+G」の世界とそれ以外の世界の作品群を一緒くたに鑑賞評価してしまうところに一番の問題があるのではないかと思います。